C62 のページ  (2007.8.13)

 この写真は、松本謙一さん著1969年9月初版発行の「HADSON C62」という写真集の中の1ページです。呉線も電化を控え、山陽のC62も秒読み段階へ入っていった時代でした。当時16歳の私は、親にねだって何とかこの写真集を購入することが出来ました。1622部限定のNo.1496です。
以来、特別、お気に入りの写真となりました。広島駅で下り特急「かもめ」の牽引機交代(広2の43号機から、関の17号機へ)シーンです。一方、左に見えるのは、バックサインを取り付けた上り特急「かもめ」の後押し機関車D52が写っています。今から思えば、夢のような光景です。
 この写真のC62のナンバーが下記の模型へと続きます。

模型のこと
ここのところ、蒸機も細密機をあちこちで見かけるようになりましたが、私なんぞは、ただただ、ため息が出るばかり。ようぉーし、こうなりゃ、俺も、やってやるぞ!とは、全然いきません。まず無理ーっ!で、ハイおしまい。当鉄道の基本路線は、お気楽に!・・・こんな程度でいいじゃない、・・・っていうことで、自分流を以下に。

その1.C62 17  (2007.8.13)

(実物)
S.23.12落成。岡山機関区で稼動開始。S.33.4の姫路電化で梅小路から下関に。晩年は、S.45.10の呉線電化まで糸崎で活躍。
S.29.12.15東海道本線木曽川橋梁上で狭軌蒸機の世界最高速度129km/hの記録を持つ。
カツミのゴールデンシリーズの塗装済みを中古で購入しましたが、色を落として、下のC6243とほぼ同様の仕様で、日立製の17号機に仕上げました。
スパイクモデルのLP403にエコーのスーパーライトとLシステムの組み合わせで、点灯。
空気作用配管の工作は疲れます。5本が広がって、管継ぎ手を付けるところなど、大変。H.S.Modelの六角ユニオンを使っていますが、0.25のりん青銅線に差し込むところで、どこか飛んでいって大抵、2〜3個は紛失します。目が見えないことと、不器用なことで、本当に困りものです。
公式側キャブ下はそれらしく。
非公式側キャブ下もそれらしく。
山陽筋のC62サンド・パイプは、ほとんどが、昭和33年〜34年にかけて、外側3本に改造されたようです。
テンダーにヘッドライトを備えたのは、私の目指す昭和30年代前半ではないはず。もっと後のこと。でもいいじゃないですか!


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その2.C62 43  (2007.8.13)

(実物)
S.23.11落成。梅小路機関区で稼動開始。S.31.11の東海道本線電化でS.42.10廃車まで広島に。
カツミのSLシリーズのキットを、上のC6217とほぼ同様の仕様で汽車会社製の43号機に仕上げました。
カツミのボイラー底部(リベットむき出し部)灰落としの上部は、40号機、43号機あたりの模型化なのでしょうか、広い範囲が見えるのですが、他の号機は裾近くまでカバーがあるはずです。ですから43号機は、コレで良いのですが、一方、煙突の後方、ドームの前方のステップ位置や、ドームは、汽車会社以外の日立、川車タイプの模型化のようです。矛盾があるのですが、これまた、いい加減な性格のおかげで、「タイプ」として進めます。
裾を絞ったシリンダー。写真では良く分かりませんね。
このあたりの配管は、汽車会社の標準でしょうか?
洗口栓はロスト製を使用。
非公式側のランボード下の配管は、このタイプがほとんどのようですね。
汽車会社特有のサンドドーム。ハッチカバーは1個。
このライトは点灯しません。


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その3.C62 40  (2008.5.5)

ベースは、天賞堂の中古を主体に、その他メーカー寄せ集めの部品で構成したC6240です。配管の引き回しやら、ロストワックスの部品の追加など、コツコツとやりました。やっとこさ、塗装完了、出場です。
標識灯の色挿しが、ひとつ抜けてますね。いずれ直しましょう。
テンダー後方の角度から。
公式側。
ただいま熟成中」の項で、「シリンダーは、いずれ安達の裾の絞られたパーツを組立て、交換したいと思います。」と述べましたが、これまた何時のことやら・・・?
キャブ下の配管は、汽車会社の標準。
非公式側。
(実物)
S.23.10落成。梅小路機関区で稼動開始。S.33.4の姫路電化で梅小路から下関に。S.39.10広島に移り、翌年糸崎、S.42.5廃車。


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