伯備線布原その2 (2022.1.2

@前回(2020.8.2)昭和46年(1971)8.25の1/1布原その1の写真をUPしましたが、今回はその後です。前回は偶然にも「旅好きもん」のおかげで撮影日が判明しましたが、今回の写真は撮影日不明です。ただDD54が米子−新見間に入ってきたことから、昭和46年10月からの約1年間のはずで、多分昭和47年正月明けだと思います。ちょうど50年前です。まもなく大学受験という時期に、母親に車で連れて行ってもらいました。高速道路もないこの時代、福山から2時間以上かかったはずです。写真のように布原は雪景色。チェーンをはめていったか、そのあたりは一切覚えていません。よく連れて行ってくれたものです。布原を見下ろす山の上の道からの写真ですが、短時間で引き上げたはずです。
写真屋さんの現像失敗でフィルムに黒いぶつぶつが残っていて、写真にすると白点がぶつぶつ現れています。今では考えられませんが、当時高3の私は、何も文句も言えず、写真屋さんから黙って家に帰ったのを悔しく思ったことです。写真も下手ですが、私の覚えとしてUPします。ご容赦ください。

 
3重連は正月休みで、この日は重連でした。布原で交換するのはDCではなく、貨物列車のようです。少しダイヤが乱れていたのでしょう。

 
次に来るはずの単機回送は無く、その次の重連貨物は前位が本務機DD54、次位が補機D51。右写真は181系DC特急「おき」。この年の3月から「やくも」に改称。 

 
前回UPの本務機D51861戦時型と同じ列車。本務機DD54、後補機は2両のD51.。 


新見機関区。扇形機関庫にDE10の姿が。その後、岡山−新見間の仕業に使われ始めた。

 



 
新見からの帰り、国道と伯備線は高梁川沿いに。
  

Aここからはまたまた日時不明。まあDD51が大量に見えることから、昭和48年の無煙化以降であることは間違いなし。
 

DD51 若番の4号機 

DC急行はキハ55系もキハ58系パノラミックウィンドウも。まだ冷房車ではありません。

181系DC特急「やくも」

Bここから昭和49年か50年の米子の風景。親戚の家に泊まって大山へスキーに。その途中で。
ホームに20系「いずも」が見えます。


昭和47に新造され、昭和48年3月に伯備線山陰線で高速度試験を行い、最高時速130km/hを記録し、振り子性能も上々と確認されたキハ391ガスタービン車。この写真はその後、米子に留置されていた時のものだと思います。
左横には夜行急行が。オロハネ10がいますね。夜行「だいせん」は昭和43年以降昭和53年3月に20系に替わるまでずっとオロネ10が付いていて、昭和45年10月から昭和50年3月までの夜行「さんべ」の編成のようです。

 

  

C昭和49年以降の新見機関区、布原。

布原信号所俯瞰。この「やくも」と次の2枚の「やくも」は、上りか下りか分かりませんが、別の列車のはずです。同じ列車の撮影をしようにも、細い山道の移動は、距離的に時間的に無理です。 

 
このページの上の方のDD54本務、D51後補機2両の場面の左横からの写真。右写真は備中神代方面に通ずる鳥越トンネルが見える。伯備線布原その1でも言いましたが、今はこの写真を撮った道路からは一切この絶景は望めません。

 

10.1/1実物編 へ戻る。