マイ・ノスタルジック・トレイン急行「はやとも」     (2011.9.18)  このページの一番下の方に(2020.12.5)その次に(2020.12.31)
           


昭和40年10月1日のダイヤ改正で、山陽〜九州博多間に交直両用電車が走り始めました。481系特急電車「つばめ」(名古屋―熊本間)「はと」(新大阪―博多間)や475系急行電車「はやとも」(名古屋―博多間)「つくし」(新大阪・大阪―博多間)がそうです。

当時、福山に住んでいた小学校6年生の少年は、広島の従兄弟の通う広島の中学に行きたいと言い出しました。東京−新大阪間の新幹線開業、山陽線の全線電化からわずか年経ったばかりの頃です。

昭和41年4月、晴れて広島の中高一貫の学校に入学した少年は、最初の数ヶ月は下宿生活(その年の秋に学校の寮が完成するまで)でした。親元を離れて、うれしくてうれしくて。夜中に福山を通過し、まだ見たことのなかったEF65500牽引の20系下りブルートレインが、早朝の西広島あたりに次々とやって来ました。

そのうちホームシックに掛かり、6月には毎週土曜日に帰省です(その後は月に一回くらい)。学割証明を学校で貰い、午前中の授業が済むと一目散に広島駅に向かいます。広電宮島線の古江駅まで歩いて15分、そこから西広島へ、そして西広島駅接続の己斐(こい)駅から広島駅は、国鉄にするか、広電市内線にするか、いつも迷うところでした。国鉄は現在のように10分に1本ではなく、まだ1時間に1本くらいの頃です。市内線は、本数はそこそこなのですが時間が30分以上掛かります。

広島駅からは、またまた大変です。利用していたのは、ギリギリ間に合えば14:00発の「つくし」ですが、14時台、15時台各1本の普通、15:55発の「第2関門」くらいが主でした。特急も14:59発の「みどり」がありましたが、特急なんてとてもとても・・・急行でさえも、もったいないと思っていました。福山広島間の所要時間も、特急が1時間半、急行が1時間45分〜2時間、普通にいたっては2時間半が相場で、当時の急行より現在の普通の方がやや速いという感覚です。広島では153系後押用に湘南色のオヤ35+茶色のEF61が控えているのをよく見ました(43.10改正まで)。一方、151系は既に181系化されていて、EF61の後押しは見ずじまいです。その頃14:15発の呉線経由上り「安芸」は、あまり記憶にありません。C59やC62がくっついていた筈ですが・・・。瀬野では、EF53改造のEF59がゴロゴロとしていて、少年にとって沿線の一番の見所でした。(EF56改造の20号機〜は、昭和44年以降、高校生になって)

家に帰り着くと夕方で、そのうち晩御飯です。それから寝るまでの時間だけが気が休まったような気がします。もう、翌日の日曜になると、また広島に戻ることが頭をヨギッテ来ます。昼頃からは何も手につかず、時間は刻々と過ぎて行き、福山駅に向かわなければなりません。16:21発急行「はやとも」です。福山に帰るときは、あれこれ方法はまちまちでしたが、広島に戻るときは何時も必ず「はやとも」でした。寮の門限が19時だったこと、それと「はやとも」が、己斐(こい)駅に停まったからです(己斐18:12着)。母が晩御飯用に弁当を作ってくれていました。広島に着くくらいまでに食べ終えるようにしていました。宿題が残っている時は仕上げの時間にもなります。日の短い冬などは夕日に向って進むようなもので、何か物悲しさ、侘しさのようなものを感じたものです。
 まさに郷愁を誘う、思い出深く忘れられない、私にとってのノスタルジック・トレインです。

さて475系12両編成は、それまで見てきた153系12両編成に比較し、車両の配列がでこぼこで、3号車のクモハの次にサハシが、8号車と9号車は頭同士が繋がり、もう1両のサハシは基本3両の間の10号車にと、少年にはこの編成は興味深く関心の的でした。43.10改正で、10両編成になり、愛称も「玄海」に譲り、「はやとも」は、広島博多間の急行として、50.10の山陽新幹線開通まで運転されました。

私の中学入学から45年経過した今、福山在住の中高の後輩たちは、毎朝、次々とやってくる6時台の「こだま」(つい先日までは7:14発の「ひかりレールスター」でも間に合っていましたが、現在は無くなりました)で通学しています。
 「うっそーっ・・・?!」

 さて、実物の編成です。

「はやとも」名古屋―博多間  昭和40年10月登場時〜昭和43年10月改正まで

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
クハ455 モハ474 クモハ475 サハシ455 サロ455 サロ455 モハ474 クモハ475 クハ455 サハシ455 モハ474 クモハ475


「玄海」名古屋―博多間  昭和43年10月〜昭和47年3月新幹線岡山開業まで
以降、岡山―熊本間  新幹線博多開業まで

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
クハ455 モハ474 クモハ475 サロ455 サハシ455 モハ474 クモハ475 クハ455 モハ474 クモハ475

山陽登場時は、50Hz車と区別のため、60Hz電動車は車体裾に細帯が入っていました。そのうち編成美を考慮し、全車に帯が入りました。サロは最初から冷房車で、2両の向きは統一されていました。2等車は全て非冷房車でしたが、段々と冷房化されていきました。何年何月という具体的な時点でこれらの変遷があったのか定かではありません。


 模型の編成は、TOMIXの455・475系製品の、電動車の車体裾に細帯を入れたことと、冷房化されている製品の一部を、非冷房車に改造したことくらいです。

@ クハ455 冷房改造車  製品のまま
H クハ455   非冷房車に改造  
A モハ474 冷房改造車  製品のまま
 60Hz電動車は50Hz車と区別のため、車体裾に細帯が入っていました。塗装で何とか表現しようと思いましたが、荷が重く、インレタを「くろま屋」さんに特注しました。しかし、この方法もなかなか難しく、失敗の連続でした。一度に一本の線を仕上げてしまおうと思ったことが、間違いでした。気持ちが折れそうになり、「もう、やめようか」とも思いましたが、一気に仕上げることを諦めて、短い線を丁寧に繋げていくと、案外綺麗に仕上がるようになりました。
 山陽475系登場時そうであった電動車だけに施行しています。いずれ全車に施したいとは思っていますが・・・。
FJ モハ474    非冷房車に改造、裾へ細帯入れ
裾の細帯は、実物は幅50mmですが、模型にすると0.625mm。細すぎるかなと悩みましたが、、0.7mm(実物で言えば56mm)にしました。濃い色に明るい線なので、0.625mmで良いような気もしましたが、「くろま屋」さんのアドバイスもあり、車体の裾なので気持ち太めの方が見栄えすると判断しました。結論は、拡大画像を見てください。私としては、0.65mmくらいでも良かったかな、でもこれでもOKだな、というところです。
モハ474初期車は、パンタ歩み板の脇のルーバーは数が少なく、製品の6ブロックに対して半分の3ブロックです。埋めて表現してみました。
手前6ブロック、奥3ブロック。
B クモハ475 冷房改造車  裾へ細帯入れ以外は、製品のまま
GK クモハ475   非冷房車に改造、裾へ細帯入れ
「はやとも」「つくし」は、昭和40年10月1日登場。
「べっぷ」は、「つくし」の附属編成として、昭和43年10月1日登場した列車名。
DE サロ455 冷房車    製品のまま
C サハシ455 冷房改造車    製品のまま 
I サハシ455   非冷房車に改造






動画をUPしました。
http://www.youtube.com/watch?v=RG0aqgZNH1k (2011.11.5)

(2020.12.5) 
475系も久々の更新です。この「はやとも」も最近のHP更新と同じく室内灯のLED化を施しました。カンテラ工房が販売するLED室内灯を取り付けました。TOMIX用の製品であり簡単でした。
左写真は、部屋の明かりを点けて、下の写真は、部屋をやや暗くして撮影。
しかし、この列車をUPして来年には10年になるんですね。
ついでに動画もUPしました。ピントが合っていませんが・・・

(2020.12.31)
2020.12.5の動画がひどすぎますので、取り直しました。気分的に少しだけ良くなりました。DC急行と153系「宮島」の競演です。
動画その1
明るさは、十分満足できるレベルです。

(2020.12.31)
動画その2
夜の動画ではピントを合わすのは難しく、削除しました。
その代わり、DC特急「かもめ」とDC急行が姿を現します。
(2020.12.31) 
153系でも紹介しましたが、グリーン車の座席の枕カバーを取り付けました。
(2020.12.31)
(2020.12.31)
何だか引き締まったような気になります。

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