9..思い出の井笠  (2004.12.12〜)

   −−−−先日、岡山模型さんで、話をしているうち、井笠の話になりました。コッペルやホジ、ホハがどこにある。どこに保存されている。どこのは整備が悪いよ。等など・・・。家に帰って、「鉄道ファン」1970年7月号(No.110)を本棚から取り出しました。懐かしくパラパラめくって行くと、私がこの本の発行された頃に書いたイワユル作文が出てまいりました。幼稚な文章ですが(多少修正しています。今も文章表現力はありませんが・・・)、あまりにも懐かしいので、恥ずかしながら、ここに紹介させていただきます。−−−

///////思い出の井笠///////

 記憶は5〜6才の頃にさかのぼります。福山から母方の祖母の住んでいた御領(神辺から三つ目の駅)に行くのに、「汽車で行こう」と母にねだって、便利なバスをわざわざ避けた事が時々ありました。神辺で17m級旧国を降り、駅の北の端の一段低くなったホームに行くと、そこには何とも可愛らしいディーゼルカーが私たちを待っているのでした。当時、電車もディーゼルカーも区別できなかった私はそれを「おもちゃの電車、おもちゃの電車」と言って呼んでいたものでした。それを聞いて他の乗客にいつも笑われていたような気がします。線路はずーっと繋がっているものと思っていた私には、神辺駅の駅舎に向かって行き止まりになっているのが、またおもちゃのような気がしていた理由です。一方、その「おもちゃの電車」の乗り心地の良かったこと。福塩線の電車とは雲泥の差なのです。振動を感じないのです。コトンコトンと線路の継ぎ目の音はしますが、横揺れは全くありません。その走りっぷりは、正に「おもちゃの電車」だったのです。(当時OゲージのEB電機を持っていました)

 さて御領の祖母の家から神辺線の線路までは1kmくらい離れているでしょうか。その頃は現在のように家が建ち込んではいません。「パアーーン」という自動車のようなそして甲高い警笛の音を聞くと家から飛び出し、田んぼの向こうをカタンカタン、コトンコトンという軽快な音とともにおもちゃの電車が走って行くのを、見えなくなるまで追いかけ眺めていました。それは本当に忘れ得ぬ思い出の情景です。そして母が話してくれました。「昔は、蒸気機関車が引っ張っとったんよ。」「蒸気機関車も小さかった?」「うん。でも滅多にあれには乗らんかった。お金が勿体無いから、福塩線の湯田村まで歩いて行って、そこから福山まで行っとった。」

 夜の御領駅のことです。ちょうど福山に帰るために上り列車を待っていました。あっちへ行ったりこっちへ来たり、駅員さんが小さなランプを持って走っているのです。よく見ると一人で線路の切り換えをしていたのでした。「ぼくもあれを動かせてみたいなあ。」と思っているところに「あっ!あっちからも電車が来た。」井原行きです。そう、御領駅ですれ違いをするのでした。そして私たちの乗る神辺行きも井原の方からやって来ました。そこでまた、福塩線のものより小さなタブレットの交換をしていました。その御領駅もいつしか貨物用の側線がなくなり、そして2番線ホームの線路が取り払われました。

 井原を通って笠岡まで行ったのは小学校6年生(昭和40年)の時です。その頃はもう、おもちゃの「電車」ではなく、「ディーゼルカー」ということは知っていました。神辺駅の切符売り場で「笠岡まで。」と言うと、国鉄の切符を出してくれました。「井笠で行くんです。」と言うと、親切な駅員さんは、国鉄の方がどれほど速いか、どれほど運賃が安いか、子供の私に話してくれました。それでも「井笠で行くんです。」と言うと、けげんな顔をして、日に焼けて黄色くなった「笠岡まで」という小さな切符を探してくれました。どういうわけかシミもありました。私が買わなければもう利用される事の無いただの紙切れなのかと、なんだか妙な気持ちになったのを覚えています。

 一番前に座ろうと勇んでホームに行ったのですが、その日はお客さんも多く、一番前の席はどこかのおばさんに取られてしまい、一番後ろの席で我慢しました。御領から先は初めて見る景色です。井原に着くと笠岡行きの赤いディーゼルカーが待っていました。その車両では一番前に座ることが出来ました。というのも神辺線の車両から降りた人はみんな改札から出てしまい、笠岡行きに乗る人は私以外にいなかったのです。井原から乗る人は、改札の向こうで待たされていました。笠岡線は山の中を走っていることが多かったような気がします。北川駅では、矢掛線の車両も止まっていました。くじ場駅では今まで見たことの無いような客車もたくさんいました。笠岡に着いたのですが、まだまだ乗っていたいような気がしました。車両とホームの間を乗ったり降りたりしていると、駅員さんに「うろうろせんで早う降りろ!」と怖い顔で促され、止む無くホームから改札の外に出ていきました。そこからバスで福山に戻りましたが、私にとってこの小旅行はかけがえの無い貴重なとても楽しい思い出です。 

 祖母の家から見た小さな情景。そして、車両も、線路も、駅も、ホームも、タブレットも、切符も、信号も、踏切も、・・・・・なにもかも小さな鉄道!!幼かった私にとって、それは正に「おもちゃの電車」だったのです。

−−−−そうこうするうち、やはり模型も!!!−−−−
あれやこれやと手を出してはいけないのですが、やっぱりダメでした。下の写真が、現状までの経過です。

(2004.12.12)
まず、ジャンク状態のホハ12を一旦すべてバラシ、再組立をしました。乗工社のキット初挑戦でしたが、こんなすばらしく、組みやすいキットがあったんだなあ、という感想です。バラして、ハンダなどをきれいに取り去り、キット状態にするのに時間が掛かりましたが、組み始めると、きちっ、きちっ、と位置が決まってくれます。
調子に乗って、もう1両、上のホハ12と同じ事を繰り返したのが、このホハ3です。
カプラ−は、エコーモデルの軽便用を装備しています。しかしまあ、見た目は、これでないといけないのですが、連結開放には、全くもって不便です。利便性をとって、KDにするか、見た目をとるか、迷うところです。
ワールド工芸のホジ8完成品。よく走ること、よく走ること。模型は、こうでなくっちゃ!!
同じく、ワールド工芸のホワフ1完成品。
ところで、塗色がちょっと違いませんか?いずれ、上の2両と共に塗り替えようと思います。
でも、いい顔してるじゃないですか。

−−−−泥沼に入るかどうか分かりませんが、軽便もまたよし!です。−−−−

(2008.11.9)
久々に井笠の車両をつつきました。
この「7.思い出の井笠」のページ自体、「熟成中のページ」にそっくり入れなければならないような、未完成の車両の多いページですが、悪しからずご了承下さい。
井笠最新鋭のホジ100です。乗工社製キットですが、ジャンク状態を分解再組立しました。
(2008.11.9)
これまでのキットは全て、ジャンク状態を分解再組立したものですが、この「ホハ13」は初めて、新品キットを組立ました。本当に乗工社製キットは良く出来ています。
(2008.11.9)
ワールド工芸の「ホワ2」完成品と同じく「ホト30」完成品。
(2008.11.9)
ちょっと並べてみました。以前紹介した真ん中の「ホハ2」なども塗装はまだです。
(2008.12.7)
乗工社製「ホジ12」です。
先の「ホハ13」に続き、新品キットから組立ました。
片側のみバケットのある特異なスタイルで、好ましい雰囲気を出している車両です。
(2008.12.7)
ホハ2を従えた編成。神辺線での定番的な編成でした。
(2008.12.7)
トコトコと街中を行くイメージです。


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