呉線の大型蒸機 (2007.5.6)   写真一部追加(2007.8.25)

呉線電化は、S.45.10.1。C59・C62の写真は、あまり撮っていません。そのうえ、撮ったフィルムも紛失しているのです。とは言いながら、先日その一部が出てきましたので、懐かしい気持ちから、数点をUPしてみます。年月日も場所もはっきりしませんので悪しからず・・・
しかし、あの学校サボって撮りに行ったC59161牽引の上り急行「安芸」や上り荷物列車のカラー写真はどこに行ったのでしょう?

早朝の坂駅に進入するC6216牽引下り急行「音戸2号」(準急「ななうら」がS.43.10に格上げされた列車。ちなみに上りは「音戸1号」)

ご存知、小屋浦駅です。朝の小屋浦は次々に列車がやってきます。C59164の牽く長ーい広島行下り通勤通学列車。

次はC6223牽引の列車がしばし停車。

上りDC列車と交換。呉行のこの列車は、折り返し、急行「出島」となって、長崎を目指す。この頃は、10両編成ではなかったでしょうか。

小屋浦駅に進入するC59161牽引の下り通勤通学列車。朝の列車は、どの列車も10両以上連ねていました。

広島方向に進み、トンネルを過ぎた地点にて、上り普通列車を撮影。

それは、C59の162号機だった。

昼下がりの糸崎機関区です。C59164の行動をじっくり見学しました。給砂塔の横で。

D51もやってきました。

ターンテーブルにバックで進入。

方向転換開始。



方向転換終了で、またバックでターンテーブルから降りる。

庫の中には、C62の23号機が休む。

広駅にて。C6216牽引の糸崎行上り普通列車が入ってきました。

場所は忘れて不明です。D51牽引の下り貨物列車。

安浦・安登間だったと思います。DC列車です。キユニ16が繋がってますね。

山の中腹まで水田が作られていました。

安浦・安登間を行くC6223牽引の下り寝台急行「安芸」。
この日は、待てど暮らせど、来ませんでした。どうしたものか、困り果てました。携帯電話も無い時代、また近くに公衆電話も無く、駅に問い合わせることも出来ませんでした。ただただ、待っていました。そして2時間遅れでやってきました。機関車の次位には、マヤ34がくっ付いていました。なかなか来なかったので待ってる間、本当に腹立たしかったのですが、驀進してきたC62の迫力で、不満も帳消しになった覚えがあります。後で聞くと、どこかで事故があったとのことでした。

2時間遅れの「安芸」を撮影した帰り、どこかの駅でC6237の牽く上り荷物列車とすれ違いました。上りのダイヤも乱れており、広島駅で上り「安芸」が撮れるか不安でしたが、案の定、広島駅手前の貨物ヤードの遥かかなたの上り線を進行する姿に、不満が残るニガイ1日だったと記憶します。

ポールの建ち始めた電化間近の吉浦・川原石間を行くC6237の牽く上り荷物列車。ちなみに、この日の「安芸」はD51牽引でした。

電化工事の進む小屋浦駅にて。

C59やC62の天下もあとわずか。

夕方は、機関車逆向きで牽引する広行の上り通勤通学列車が次々と。

フィルムにカビが・・・。(すいません)

広島運転所にて。

いつも忙しく。

下関市始発上り寝台急行「音戸2号」の仕業待ち。

同じく。

上り臨時急行「音戸51号」の仕業待ちのC62 17(左)と、上り急行「音戸1号」の仕業待ちのD51 489(右)。

夜の広島駅にて。上り急行「音戸1号」。電化間近の頃は、C59・C62ではなく、ちょくちょくD51が。

12系新型客車を連ねた上り臨時急行「音戸51号」

轟音とともに発車。

山陽本線鴨方駅を通過する下り臨時列車。C6217とC59164重連。呉線電化直前のS.45の8月だったと思います。はっきり覚えていませんが、電化後ということはありませんよね。忘れました。

同じく山陽本線大門駅を過ぎて力行する下り臨時列車。

先ほどの列車が今は懐かし福山駅を出発。

左手に福山城火の見やぐらが。

現在では、山陽線が2階、新幹線が3階に。2重高架構造になり、この写真の面影は微塵も無い。

仕業を終えた2両。糸崎にて。

ターンテーブルに進入するC62 17。

ターンテーブル上のC6217。

構内入れ替えにはC50の姿も。

ターンテーブルに進入するC59 164。

「あき」のヘッドマークをつけたC59164.

 

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